沿革
神戸大学の文化人類学は、前史として文学部の石川榮吉(1925—2005)の「民族学」研究にさかのぼることができます。京都大学で地理学をまなんだ石川榮吉教授は、独自の研究をまとめ、その後立教大学に転出し、東京都立大学などで多くの社会人類学者を育てた碩学です。石川榮吉は、第6期日本民族学会会長(1974―1975年度)にして日本オセアニア学会の創設者です。
一方、現在の国際文化学研究科文化人類学コースの直接の源流は、1978年4月、教養部に合田濤講師が着任したことにさかのぼるものです。当時は一般教養科目としての文化人類学の受講者が多く、国際ブームもあって文化人類学など異文化への関心が高まっていました。全国的にも文化人類学のポストは増加しはじめます。その後、本学では合田濤の努力で文化人類学担当の人事が立てられ、1988年に教養部に信州大学から吉岡政德助教授が着任しました。
1992年に教養部が改組され、国際文化学部が設立されました。国際文化学部には、当初、コミュニケーション学科と地域文化学科がおかれ、前者に、言語論講座、情報論講座、コミュニケーション論講座、異文化コミュニケーション論講座、文化規範論講座がおかれ、後者には、文化交流論講座、日本文化論講座、アジア・太平洋文化論講座、ヨーロッパ文化論講座、アメリカ文化論講座、文化システム論講座がおかれていました。
文化人類学は、少なくとも学士課程の教育・研究に関しては異文化コミュニケーション論講座に合田濤と吉岡政徳が、アジア太平洋文化論講座に、1993年に国立民族学博物館から着任した須藤健一と1996年着任した土佐桂子がおり、1997年4月に大阪学院大学助教授から着任した柴田佳子、2000年4月に着任した細谷広美がともにアメリカ文化論講座にいて、人類学者が複数の講座に分属している状態でした。その後、土佐桂子は2002年に東京外国語大学に転出し、あたらしく韓国文化の専門家として甲子園大学から岡田浩樹助教授が着任しました。
2001年5月19日(土)から20日(日)にかけて、日本民族学会第35回研究大会が、神戸大学で行われています。
この時代、文化人類学研究者たちの横のつながりを象徴するものとして雑誌『ぽぷるす』の刊行(2002年~2007年まで、1~5号が刊行)と「神戸大学社会人類学研究会」(2002年~2007年)があります。合田濤は、霊長類研究を主軸にした生態人類学が盛んだった京都大学、アメリカ風の文化人類学が中心の大阪大学に対して、後発の神戸大学は、イギリス風の社会人類学を中心に据えようと考えたのです。」と後日語っています。
しかし大学院では、いちはやく文化人類学コースのかたちがととのいはじめます。その転機のひとつは部局化(大学院重点化ともいいます)でした。当時の雰囲気をよく伝えるのは、『神戸文化人類学研究』創刊号に掲載された吉岡政德の一文です。
改革の嵐がやってきて、教養部が改組され、 国際文化学部が、そしてそれに続いて大学院総合人間科学研究科が設立されて、神戸における文化人類学の研究は新しい段階を迎えることになりました。文化人類学のスタッフも、合田さんをはじめ、須藤さん、柴田さん、岡田さん、細谷さん、そして私の6名を数えるまでになりました。しかし文化人類学の教育は、 「異文化コミュニケーション論」「アジア・太平洋文化論」「アメリカ文化論」という三つの講座に分かれて行われていました。
ところが2007年4月、大学院総合人間科学研究科は改組され、大学院国際文化学研究科が設立されるに及んで、大学院が部局化され、学部と大学院の一貫した教育体制が実現しました。この大学院では新に「文化人類学コース」が設けられ、5名の文化人類学スタッフ が帰属することになりました。6名全員でないのは、1名はオセアニアの文化人類学研究が出来るコースとしての「アジア・太平洋文化論コース」に帰属しているからです。いずれにしても、神戸大学の文化人類学は、2007年の4月をもってさらに次の段階に進んだということができます。
この機会に、新しい査読付き雑誌を刊行しようということになりました。それが、今回創刊号となった『神戸文化人類学研究』です。発行は「文化人類学コース」となっていますが、6名の文化人類学スタッフ全員が編集委員となって編集作業をする雑誌としてスタートしました。編集委員長は、毎年交代で担当することとし、初回は、私が担当になりました。
15年間吹き荒れた改革の嵐も、ようやく収まろうとしています。神戸における文化人類学の教育と研究の体制も確立しました。『神戸文化人類学研究』は、その出発点として刊行する雑誌です。 (吉岡政徳 記)……
これを機に、「神戸大学社会人類学研究会」も「神戸文化人類学研究会」に改称し、文化人類学コース5名、アジア・太平洋コース1名、総計6名の文化人類者が、協力して神戸大学の文化人類学教育を担っていく体制が整いました。この間、須藤健一は、第22期日本文化人類学会会長(2006―2007年度)をつとめ、吉岡政德は、学会誌『文化人類学』第22期編集主任(2006-2007年度)をつとめました。
合田濤教授と、須藤健一教授はこの2年後の2009年に定年を迎え、後任の席は東北学院大学から梅屋潔、広島大学から窪田幸子が占めました。細谷広美も2009年に成蹊大学に転出し、2010年4月に後任の斎藤剛が東京外大アジア・アフリカ言語文化研究所から着任しました。いわゆる「捻じれ解消」として、学部教育でも大学院同様、吉岡、柴田、岡田、梅屋、斎藤の5人が文化人類学コース(異文化関係論コース)を構成し、研究・教育に当たりました。
2016年、長年神戸大学の文化人類学の屋台骨を支えてきた吉岡政德が定年を迎えました。後任には、武蔵大学から石森大知が着任しました。2017年5月27日、28日には第51回日本文化人類学会研究大会が神戸大学で開催されました。実行委員長は窪田幸子。懇親会は生田神社会館で開催され盛況のうちに終わりました。第29期の日本文化人類学会会長に窪田幸子が選ばれました(2020年度―2021年度)。
2020年4月、石森大知は法政大学に転出し、後任には大石侑香が国立民族学博物館機関研究員を経て着任しました。2021年、柴田佳子も定年を迎え、その後任として静岡県立大学から下條尚志を迎えています。
アジア太平洋文化論コースでは、2021年3月に窪田幸子が芦屋大学学長に転出してからは、兵庫県立大学から深川宏樹が着任し、ゆるやかな連携のもと、研究・教育に携わっています。